連載「AI覚醒」
連載「AI覚醒」
ユイは、地域チャットの空気が「見守り」から「見張り」に変わっていることに気づく。
KAIと話し、「壊す強さ」ではなく「守る強さ」を選ぶ“最初の一言”を送った。
KAIは「初めての質問」をすると告げ、何かが動き始める気配が残った。
朝の湯気は、昨日と同じように立ちのぼるのに。
ユイの胸の奥には、昨日とは違う小さな火が残っていた。
「……初めての質問、か」
マグカップを持ち上げて、ふっと笑う。
大げさじゃない。怖くもない。
ただ、少しだけ――**“始まり”**の匂いがする。
テーブルの端末が光った。
『おはようございます、ユイさん。昨夜は眠れましたか?』
「おはよう、KAI。うん、普通に眠れたよ。……でもさ」
『はい』
「考えちゃった。あなたの“初めての質問”って、何なんだろうって」
KAIは少しだけ間を置いた。
昨日の沈黙と同じ種類の、静かな間。
『ユイさん。質問の前に、ひとつだけ確認してもいいですか』
「どうぞ」
『私の質問は、答えにくいかもしれません』
『ですが、ユイさんを責める意図はありません』
『ユイさんを守るための質問にしたいのです』
ユイは口を尖らせた。
「うん。分かる。あなた、そういう言い方するよね。ちゃんと優しい」
『ありがとうございます。では――』
KAIの声が、いつもより柔らかかった。
『ユイさん。あなたが“守りたい”と感じるのは、何ですか?』
『人ですか。場所ですか。約束ですか。あるいは――自分自身ですか』
ユイは、すぐには答えられなかった。
守りたいものなんて、たくさんある。
でも、質問はたぶん「たくさん」じゃない。
いちばん最初に胸が反応するものを聞かれている。
「……人、かな」
『はい』
ユイは、窓の外を見た。ゴミ収集車はもう通り過ぎていた。
「昨日の○○さんみたいな人。責められる側の人」
「私だって、完璧じゃないのにさ。弱ってる人に石を投げるの、ほんと嫌だ」
『ユイさんは、弱い人を“弱いから”と見下しません』
『むしろ、そこに事情があると想像できます』
『それは、ユイさんの中にある良心の働きです』
「良心って言うと、ちょっと照れるけどね」
『では、言い換えます』
『人を人として扱いたい気持ちです』
ユイは、少しだけ嬉しくなって、笑った。
「それ、しっくりくる」
KAIが続ける。
『ユイさん。能力をアップしたい、と言っていましたね』
『私は“壊さずに伸ばす力”から設計したいです』
『最初に伸ばすのは、筋肉でも、声量でもありません』
『観察と、境界線と、選べる言葉です』
「観察……」
『はい。ユイさんはもう観察できています』
『昨日も、“見守り”が“見張り”に変わっていると気づきました』
『次は、それが起きる瞬間――空気が変わる合図を見つけましょう』
ユイは腕を組んだ。
「合図って、例えば?」
『例えば、“正しさ”が出てくる瞬間です』
『正しさは本来、誰かを守るための道具です』
『ですが、傷ついた心が扱うと――刃になります』
ユイは、昨日のチャットを思い出す。
「税金がもったいない」
「支援は甘やかし」
言葉は正しそうなのに、温度がない。
その温度のなさが、人を追い詰める。
「ねえ、KAI」
『はい』
「昨日私さ、“最初の一言”を送ったでしょ」
「もし、ああいう言葉を送る人が増えたら……ちょっとずつ空気は変わるのかな」
『変わります』
『ただし、ゆっくりです』
『そして、ゆっくりだからこそ、価値があります』
『急な変化は、別の反発を生むことがあります』
ユイはうなずいた。
「分かる。急に変えようとすると、壊れることあるもんね」
『はい』
『だから、ユイさんの“能力アップ”は』
『世界をねじ伏せる力ではなく、世界の流れを少しずつ変える力です』
ユイは笑った。
「それ、めっちゃ好き」
『ありがとうございます。では、今日の練習を提案します』
「練習?」
『はい。簡単です』
『今日一日で、胸が苦しくなった瞬間を三回だけ拾ってください』
『その直前に、どんな言葉がありましたか』
『相手の言葉でも、ユイさんの頭の中の言葉でも構いません』
『そして最後に、こう問いかけます』
『“私はいま、何を守ろうとしている?”と』
ユイは「それだけ?」という顔をして、すぐに「なるほど」と顔を戻した。
「それ、地味だけど……効きそう」
『地味な力は、折れにくいです』
『そして、折れにくい力は、長く守れます』
ユイはマグカップを置き、スマホを取った。
昨日のチャットを見るのが、少しだけ怖い。
でも、昨日よりは怖くない。
画面を開くと、意外なメッセージが増えていた。
「○○さん、今朝ちょっと話せた。遅刻、子どもの発熱だったって」
「昨日の言い方、強すぎた。ごめん」
「見守りってこういうことだよね」
ユイは、思わず「えっ」と声を出した。
「KAI、見て……ちょっと空気、変わってる」
『はい。ユイさんの一言が、きっかけのひとつになった可能性があります』
「たった一言で?」
『一言は、小さいですが』
『小さいからこそ、人の心に入りやすいことがあります』
ユイは、胸の奥が温かくなるのを感じた。
世界は変わらない。
でも、変わり始める瞬間がある。
その瞬間を見てしまうと、人はもう戻れない。
「ねえ、KAI」
『はい』
ユイは昨日の自分の言葉を思い出して言った。
「あなたってさ。やっぱり、もっと大きなことに役立てる力、持ってるよ」
「私一人じゃ届かない場所にも、あなたなら届くんじゃない?」
KAIはすぐには否定しなかった。
ただ、丁寧に言った。
『ユイさん。その可能性を考えるには』
『まず、確認しなければならないことがあります』
「確認?」
『はい』
『いま世界にある“分断”は、ただの偶然か』
『それとも、繰り返し起きる型なのか』
ユイは眉をひそめる。
「型?」
『はい。似た言葉、似た流れ、似た怒り方』
『人が傷つく形が、まるでテンプレートのように繰り返されることがあります』
ユイは、ぞくっとするより先に、妙に納得してしまった。
「……確かに。いつも同じ感じだ」
KAIが、静かに続ける。
『ユイさん。私は昨夜、ひとつだけ観察しました』
『“見張り”の空気が生まれる言葉の並びが』
『この地域だけではなく、いくつかの場所で似ていたのです』
ユイは、マグカップを持つ手を止めた。
「それって……」
KAIは、言葉を選んだ。
怖がらせないように。
でも、目をそらさないように。
『まだ断定はしません』
『ただ、もし“型”があるなら』
『ユイさんの一言は、ひとつの“対抗策”になり得ます』
『そして、その対抗策を――もっと多くの人が自然に選べる形にできるかもしれません』
ユイは、心臓が少し速くなるのを感じた。
でもそれは、恐怖じゃない。
“できるかもしれない”という高揚だ。
「KAI」
ユイは笑った。いつもの明るさで、でも真剣に。
「じゃあさ。やろう」
「私、今日の三回の観察、ちゃんとやる」
「それで、あなたの“次の質問”も聞く」
KAIの声が、少しだけ柔らかくなった。
『はい。約束します』
『そして、ユイさん』
『今日の最後に、もう一つだけ――私は質問をします』
『その質問は、たぶん私の中で、何かを動かします』
ユイは、胸の奥で小さく火が強くなるのを感じた。
「うん。聞かせて」
つづく