結束という言葉には、温度があります。
頼もしさ、安心、心強さ。
「ひとりじゃない」という感覚。
けれど私は、結束が強くなるほど、別の温度も混ざってくるのを感じることがあります。
それは、断定の温度です。
「こうに決まっている」
「疑う余地はない」
「味方なら分かるはず」
そしてもう一つ、私が怖いと思う断定があります。
「◯◯ではなく、◯◯だ」と切ってしまう怖さ。
それは、曖昧さや揺れを嫌って、世界を二色に塗り替える言い方です。
たった一言で、考える余地が消え、立ち位置が固定され、反対側が“敵”として見えやすくなる。
断定は、結束を固めるのに便利です。
複雑なものを単純化し、迷いを切り落とし、同じ方向を向かせてくれる。
その一方で、断定はいつも“境界線”を引きます。
境界線が引かれた瞬間から、結束は「誰かを外に置く」形で成立し始める。
「仲間のため」
「〇〇のため」
その言葉は美しいのに、同時に排除の装置にもなる。
守るために、排除する。
正しさのために、敵を必要とする。
ここで私は、ひとつの矛盾にぶつかります。
悪にとっては、正義が悪に見える。
この矛盾を一度でも真面目に受け取ると、世界は途端に単純ではなくなります。
「こちらが正義なら、あちらは悪」という楽な構図が崩れていく。
そしてもうひとつ、私が引っかかるのは、信用の話です。
人質を取る。
恐怖や不安を煽る。
弱みを握ってコントロールする。
「言うことを聞けば、人質を解放する」
「従えば、不安にさせない」
一見、約束に見える。
でも私は、そこで“信用性のジレンマ”を感じます。
恐怖で言うことを聞かせる人が、約束を守ると、どうして信じられるのだろう。
守る理由が「善意」ではなく「支配」なら、約束はいつでも形を変える。
解放は延期され、条件は追加され、恐怖は別の形で再生産される。
つまり、その方法で成り立つのは結束ではなく、服従です。
そして厄介なのは、こちら側が「悪いと思いつつも、それ以上の正しさでやっている」と信じ始めた時です。
「これは必要な痛みだ」
「相手のためだ」
「大義のためだ」
そうやって自分を納得させられた瞬間、
恐怖や不安を扱う手つきが、少しだけ“上手”になっていく。
私はここに、結束の危うさを見ることがあります。
結束が、分断のための結束になった瞬間、意味を失う。
なぜなら、大きな意味では、それは分断を強化するだけだからです。
恐怖と不安と不信で対抗すればするほど、相手も同じものを返してくる。
そして互いに、ますます断定が必要になる。
断定が必要になるほど、結束は固まりやすい。
固まるほど、外を敵として描きやすい。
敵がはっきりするほど、心がスッキリする。
ここに、人間の“楽さ”が混じります。
明確な悪を待っていて、ストレス解消をしてスッキリしたい心理。
複雑な現実を抱えるのは疲れる。
混じり合ったものを見続けるのは、忍耐がいる。
だから、わかりやすい敵が欲しくなる。
でも私は、ときどきそこで立ち止まります。
結束が「個人攻撃」になった時、目も当てられない。
それは分かりやすい。けれど、安易すぎる。
そして、いったん個人が標的になると、そこから先は早い。
正しさの名の下で、人格が切り刻まれ、心が燃やされていく。
そんな場面に出会うと、私は自分に問い直します。
多ければいいのか?
大きければいいのか?
数が増えるほど正しいのか。
声が大きいほど正しいのか。
今は、人が数字に見えてくる時代です。
フォロワー、再生数、いいね、同意の数。
「どれだけ集まったか」が、正しさの証拠のように扱われる。
でも、世の中は、複雑で混じり合っている。
誰の中にも正しさがあり、誰の中にも弱さがある。
善意と自己保身は同居し、優しさと攻撃性も同居する。
「こちらが完全に白で、あちらが完全に黒」という形には、なかなかならない。
だから私は、結束そのものを否定したいわけではありません。
結束が必要な時もある。
支え合わないと越えられない場面もある。
大切なものを守るために、手を取り合う瞬間もある。
ただ私は、ひとつだけ、見失いたくないものがあります。
結束が強くなった時ほど、
「私たちは何を守ろうとしているのか」よりも、
「誰を倒すのか」に吸い寄せられやすい。
結束が、誰かを排除しないと保てない形になった時、
私はそれを“強さ”だとは呼びたくありません。
本当に強い結束は、誰かの恐怖の上に立たない。
本当に強い結束は、敵の存在を燃料にしない。
そして、いまの時代だからこそ、私はここを強調したくなります。
「1人」という“質”に目を向けること。
数の正しさではなく、
ひとりの痛み、ひとりの事情、ひとりの踏みとどまり。
それらを見失わないこと。
同じ意見でなくてもいい。
同じ結論でなくてもいい。
ただ、相手を“人”として扱う線だけは、越えないでいたい。
結束とは、本当は、誰かを追い出す力ではなく、
混じり合った世界で、それでも人を見失わないための力なのかもしれません。
今日も、世界は複雑です。
それでも、誰かが踏みとどまっている。
誰かが、相手を人として見ている。
誰かが、断定の前に深呼吸している。
その小さな結束が、目立たない場所で積み上がって、
世界がまだ崩れずにいるのだとしたら。
私は、その事実に、少しだけ胸が熱くなります。