遠回りにも、意味はあるのかもしれない。失敗や気づきを、物語・歌・動画にしています。
悪人が捕まる瞬間には、どこか人の心を安心させるものがある。
けれど、その瞬間を見たいという欲望が強くなりすぎたとき、人は本当に悪を減らしたいのか、それとも悪が起きる場面を待ち望んでいるのか。
正義を記録することと、悪を誘い出すことの境界をめぐる小さな思考遊戯。
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A男は、犯人が捕まる場面を見るのが好きだった。
警察に取り押さえられる瞬間。
逃げ場を失った犯人が、急に大人しくなる表情。
それまで強気だった人間が、手錠をかけられた途端にうつむく姿。
そういう映像を見るたび、A男の胸には、静かな快感が広がった。
「悪いことをした人間が、ちゃんと捕まる」
その分かりやすさが、たまらなく好きだった。
特に、ドキュメンタリー番組は好んで観ていた。
街頭トラブル、迷惑行為、詐欺、危険運転。
誰かがルールを破り、それを警察が取り締まる。
そこには、A男にとって分かりやすい世界があった。
悪い人間がいる。
それを見つける人間がいる。
そして最後に、悪い人間が捕まる。
現実の世界も、全部そうであればいいのに。
A男は、いつからかそう思うようになっていた。
けれど、テレビの中だけでは物足りなくなっていった。
「一度でいいから、目の前で見てみたい」
犯人が捕まる瞬間を、画面越しではなく、自分の目で。
自分のすぐそばで。
できれば、自分が通報したことによって。
そう考えたとき、A男の中で、ひとつの発想が生まれた。
「犯罪を目撃できればいい」
だが、普通に生活しているだけでは、そんな場面にはなかなか出会わない。
そこでA男は、犯罪が起きそうな場所や状況を、少しずつ探すようになった。
最初は、記録のためだった。
車には、あらゆる角度を映せるようにカメラを取り付けた。
自分の身を守るため。
証拠を残すため。
そう説明すれば、誰も不自然には思わない。
そのうちA男は、荒い運転をしている車を見つけると、わざと相手の怒りを刺激するような動きをするようになった。
露骨ではない。
あくまで、偶然に見える程度に。
相手が腹を立てても、A男自身は「普通に運転していただけ」と言える範囲で。
すると、予想通り、怒りを抑えられない運転手が現れた。
車間を詰めてくる。
クラクションを鳴らす。
横に並んで怒鳴ってくる。
A男は、心の中で小さくつぶやいた。
「来た」
そこからは、すべて予定通りだった。
慌てたふりをして逃げる。
警察に電話を入れる。
録画データを提出する。
相手は、危険運転をした人間として捕まった。
A男は、その場面を間近で見た。
思っていた以上に、胸が高鳴った。
テレビで見るよりも、ずっと生々しかった。
相手は怒鳴っていた。
自分は悪くないと言い張っていた。
けれど、警察官に囲まれると、少しずつ声が小さくなっていった。
A男は、その変化を見るのが好きだった。
その後、動画を編集して投稿した。
危険運転の証拠映像として、すぐに再生数は伸びた。
コメント欄には、A男を称賛する言葉が並んだ。
「よく撮ってくれた」
「こういう人はどんどん捕まえるべき」
「正義の行動ですね」
A男は、自分の中の熱が、さらに強くなるのを感じた。
それから、A男は似たようなことを繰り返すようになった。
喧嘩っ早そうな人間の近くを、わざと不用意に通る。
盗みをしそうな人間の前に、隙のある状況を置く。
怪しい連絡や詐欺まがいの誘いには、あえて途中まで乗ってみる。
もちろん、A男は自分から犯罪をしているわけではない。
相手が勝手に怒った。
相手が勝手に盗もうとした。
相手が勝手に騙そうとした。
A男は、いつもそう考えていた。
「私はただ、悪い人間が本性を出すところを記録しているだけだ」
その映像は、よく伸びた。
テレビ局から連絡が来ることもあった。
ネットでは、A男を「犯罪を可視化する人」と呼ぶ者まで現れた。
A男は、ますます自分の行動に自信を深めていった。
だが、少しずつ変わっていったことがある。
最初、A男は犯罪を見つけようとしていた。
しかし、いつの間にか、犯罪が起きるような場所に、自分から近づくようになっていた。
さらにそのうち、場所だけでは足りなくなった。
相手の性格。
その日の苛立ち。
疲れていそうな様子。
お金に困っていそうな雰囲気。
そうしたものを観察しながら、A男は「この人なら引っかかるかもしれない」と考えるようになっていた。
それでもA男は、自分を疑わなかった。
「悪いのは、最後に一線を越えた相手だ」
その理屈は、確かに間違ってはいないように思えた。
どれだけ誘われても、踏みとどまる人は踏みとどまる。
怒らない人は怒らない。
盗まない人は盗まない。
だから、捕まる人間には、捕まるだけの理由がある。
A男は、そう信じていた。
ある日、A男はいつものように、ある男を狙った。
男は見るからに気が短そうだった。
歩き方も荒く、周囲の人にぶつかりそうになっても気にしていない。
A男は、その男の近くを、わずかに不自然な距離で通り過ぎた。
肩が軽く触れた。
男が振り返る。
A男は、ほんの少しだけ怯えた顔を作った。
相手がさらに怒りやすくなる表情を、もう知っていたからだ。
「何だよ、お前」
男が近づいてきた。
A男は、心の中でカメラの位置を確認した。
胸元の小型カメラ。
バッグに仕込んだカメラ。
近くの車のドラレコ。
完璧だった。
だが、そのときだった。
少し離れた場所から、別の声がした。
「はい、そこまでで大丈夫です」
A男が振り向くと、知らない人物がスマホを構えて立っていた。
その後ろには、さらに数人がいた。
皆、静かにA男の方を見ていた。
男は、さっきまでの怒った顔から、急に平静な表情に戻った。
A男は、ようやく気づいた。
今、怒っていた男は、A男を殴るためにいたのではない。
A男が何をするのかを見るために、そこにいたのだ。
スマホを構えた人物が言った。
「あなたが、いつも人を怒らせるように仕向けているという話を聞きまして」
A男は、言葉を失った。
「私たちも、一度見てみたかったんです。
人が罠を仕掛ける瞬間を」
A男は反論しようとした。
「私は、悪い人間を見つけていただけです」
すると、その人物は静かに言った。
「ええ。ですから私たちも、あなたを見つけただけです」
A男の胸元のカメラが、まだ録画を続けていた。
けれど、その映像には、もうA男の見たい正義は映っていなかった。
映っていたのは、誰かが犯罪をする瞬間ではない。
誰かに犯罪をさせたくて、
その一歩手前まで世界を整えている自分の姿だった。
A男は初めて、分からなくなった。
罠にかかったのは、相手だったのか。
それとも、罠を仕掛け続けた自分だったのか。
―――――
悪いことをした人間が、責任を問われるのは当然だ。
怒った人、盗んだ人、騙した人。
最後に一線を越えたのが本人である以上、その責任が消えるわけではない。
ただ、それだけで話が終わるとは限らない。
人は、環境によって大きく揺れる。
疲れているとき、焦っているとき、苛立っているとき、追い詰められているとき。
普段なら越えなかった線を、何かのきっかけで越えてしまうことがある。
だからこそ、そこに意図的な誘導や挑発があったなら、話は少し変わってくる。
悪を記録しているつもりが、悪が起きるための舞台を整えているだけだった。
そういうことも、あり得るのかもしれない。
そしてこれは、動画やニュースを見る側にも関係している。
私たちは、映像に映った「最後の場面」だけを見て判断しがちだ。
怒鳴った瞬間。
手を出した瞬間。
盗もうとした瞬間。
捕まった瞬間。
けれど、その前に何があったのか。
誰がどんな状況を作ったのか。
何が切り取られ、何が映っていないのか。
そこまで見なければ、本当の意味では分からない。
もちろん、「だから加害者は悪くない」という話ではない。
責任は責任として残る。
ただ、私たちが見ている正義は、いつも正義そのものではなく、
誰かが切り取った正義の場面なのかもしれない。
だとすれば、問いは残る。
その映像は、悪を暴いた記録なのか。
それとも、悪が起きるように整えられた罠の記録なのか。
その違いを見分けることは、思っているより難しいのかもしれない。