遠回りにも、意味はあるのかもしれない。失敗や気づきを、物語・歌・動画にしています。
前世を覚えていると言う人はいる。
けれど、もしその記憶が「誰か一人」ではなく、もっと曖昧で、もっと広いものだったとしたらどうだろう。
前世をめぐる小さな思考遊戯。
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A子は、少し変わった能力を持っていた。
それは、自分自身の前世を覚えていることだった。
前世が分かるという人の話なら、A子も聞いたことがある。
自分は昔、どこかの国の誰々だった。
あるいは、何百年前にこう生きていた。
そういう類の話だ。
けれど、A子の能力は、それとは少し違っていた。
A子には、他人の前世は分からない。
見えるのは、あくまで自分自身のものだけだった。
しかも、それだけではなかった。
A子の前世は、一人ではなかった。
それは、同じ時代に生きた特定の誰か、という形では現れなかった。
もっと曖昧で、もっとばらばらで、もっと無数の感覚として、A子の内側に残っていた。
ある時は、地面を這う小さな虫の感覚だった。
ある時は、水辺に揺れる草の気配だった。
またある時は、名前もない木の根元に沈む湿った土の重みだった。
それだけではない。
獣の息苦しさもあった。
鳥の羽ばたきの軽さもあった。
魚が水を押し分ける感覚もあった。
さらには、生き物ですらないものの気配まで残っていた。
冷たい石。
乾いた砂。
風に舞う塵。
空気の中に漂う、ごくわずかな一成分。
A子は、それらを「記憶」と呼んでよいのか、いつも少し迷っていた。
そこには、人間のようなはっきりした物語はなかった。
名前もない。
言葉もない。
意志すらないものも多い。
ただ、感覚だけがある。
湿っていた。
温かかった。
重かった。
光が強かった。
砕けた。
流れた。
混ざった。
散った。
そうした断片が、時おり理由もなく胸の奥から立ち上がってきて、A子に一つのことを知らせていた。
自分は、一つの命だけを引き継いできたのではない。
様々なものがばらばらになり、混ざり、巡り、その果てに、たまたま今の「自分」という形になっているのだ、と。
つまり、A子が覚えているのは、前世というよりも、
今の自分を形づくる前に、それぞれがそれぞれとして存在していたものたちの感覚だった。
そのことを、A子は感覚として理解していた。
「私の前世は、昔どこかにいた人間でした、なんていう話ではないのよ」
一度だけ、親しい相手にそう打ち明けたことがあった。
「たとえば、空気の中の一成分だった感覚とか、
木の一部だった感覚とか、
そういうものが残っているの」
当然ながら、相手は困ったように笑った。
冗談だと思ったのかもしれない。
あるいは、少し疲れているのではないかと心配したのかもしれない。
A子は、それ以上説明しなかった。
どう説明したところで、うまく伝わるとは思えなかったからだ。
そもそも、自分でもそれをきちんと言葉に出来ている自信はなかった。
「私」という輪郭の奥に、
「私ではなかったもの」の感覚が、無数に沈んでいる。
そんな話を、まともに受け取る人は少ないだろう。
けれど、A子にとっては、それで特に困ることもなかった。
誰かに信じてもらえなくても、感覚そのものは消えない。
そして、その能力は、思ったほど役には立たなかった。
未来が見えるわけでもない。
宝くじが当たるわけでもない。
人の心が読めるわけでもない。
何かに成功しやすくなるわけでもない。
ただ、ときどき圧倒されるだけだった。
食卓に並んだ野菜を見て、
その奥にある土や水や光を、身体のどこかで思い出す。
雨上がりの道を歩いて、
ぬれた石の鈍い冷たさに、自分の一部だった何かの名残を感じる。
息を吸い込んだ瞬間に、
その空気の中にあった微粒子の側から世界を見ていたような感覚が、ふっと胸をかすめる。
そのたびに、A子の中には、うまく名前のつかない感動が広がった。
私は、一人だけで出来ているのではない。
他のあらゆるものが巡り、混ざり、崩れ、つながった結果として、
今だけ、こうして「私」という形をとっているに過ぎない。
そう思うと、何かを当然だとは思えなくなった。
水を飲むことも。
息をすることも。
食べることも。
身体がここにあることも。
どれも、他の全てのおかげで成り立っているように思えた。
だからこそ、A子は、前世について深く考え込まなかった。
考えても仕方がない、と本気で思っていた。
「どうせ今の私も、いつかはほどけていくのだから」
人としての自分が死ねば、
また別の誰かになるのかもしれない。
あるいは、誰かですらなく、何かの一部になるのかもしれない。
それは木かもしれないし、鳥かもしれない。
土かもしれないし、水かもしれない。
空気中を漂う、取るに足らない一成分かもしれない。
それなら、今の自分として生きている時間だけは、今の自分として受け取るしかない。
A子は、そう思っていた。
「今を生きよう」
その言葉だけが、A子の胸の中で静かにこだましていた。
前世を覚えているという特別な能力があっても、
結局のところ、出来ることはあまり変わらない。
朝が来たら起きて、
腹が減れば食べて、
疲れたら休み、
嬉しいことがあれば少し笑う。
それでも、その何でもなさの奥に、
他の全てのおかげで今ここにいるのだという感覚が広がっていた。
A子は今日も、
人の形をした今の自分として、
そのありがたさだけを、静かに抱きしめていた。
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生まれ変わりや魂の存在を、確実に証明する方法は今のところないと言われている。
だから前世の話は、どうしても曖昧で、都合よく解釈されやすいものでもある。
仮に前世というものが本当に存在したとしても、それが必ずしも「昔どこかで生きていた立派な人間」を意味するとは限らないだろう。
もっと遡れば、動物だったかもしれないし、植物だったかもしれない。
さらに言えば、アメーバのような単純な生命や、生命と呼ぶことすら難しい何かだったとしてもおかしくはない。
そう考えると、前世を物語として美しく整えすぎることには、少し注意が必要なのかもしれない。
都合よく作られた曖昧なものに、自分の人生を賭けるのは、ある意味ではギャンブルより効率が悪いとも言えるだろう。
今の時点で比較的確かに言えそうなのは、私たちが何かの集合体として存在している、という事実くらいかもしれない。
身体は様々な物質の集まりで出来ているし、その物質もまた、どこかから巡ってきたものばかりだ。
意識だけは、そこから少しはみ出しているようにも見える。
だからこそ人は、「私は私だ」と感じるのだろう。
けれど、その私でさえ、本当に一つのものとして閉じているのだろうか。
もし今の自分が、無数の何かの集まりとして一時的に形を取っているだけだとしたら、
「私」という感覚は、どこから始まり、どこで終わるのだろうか。
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私たちは一人分の命だけでできているのではなく、水や土や光、たくさんの命のめぐりの先にいるのかもしれない。
そして、運命の人との出会いさえもまた、遠い昔から続いていた必然なのかもしれない――そんな想いを描いた曲です。