遠回りにも、意味はあるのかもしれない。失敗や気づきを、物語・歌・動画にしています。
簡単に始められて、自由に育てられる。
そんな魅力を持つWordPressも、守るべきものが増えた瞬間から、別の顔を見せ始める。
無料で始めたはずの場所を守るために、A子は少しずつ、自分の時間を差し出していく。
WordPressの安全性をめぐる小さな思考遊戯。
―――――
A子は、WordPressでサイトを作っていた。
最初のうちは、何も気にしていなかった。
記事を書いて公開するだけなら、そこまで大きな問題は起きないだろうと思っていたのだ。
「別に問題はないよね」
A子にとって、セキュリティとは、どこか大きな企業や特別なサービスに関わる人たちの話だった。
自分のようにブログを書く程度なら、そこまで神経質になる必要はない。
そう思っていた。
ところが、サイトへのアクセスが増え始めると、A子の中に少しずつ不安が生まれてきた。
「もし、急にサイトが表示されなくなったら……」
最初は、ただの想像にすぎなかった。
だが、アクセスが増えれば増えるほど、その想像は現実味を帯びていった。
表示されない時間が生じれば、そのぶん読者は離れる。
収益がある場合は、その時間のぶんだけ機会も失われる。
サイトが小さいうちは「一時的な不具合」で済んでも、規模が大きくなるほど、その損害は笑えなくなっていく。
それに加えて、A子は最近、会員限定の記事も始めていた。
ただ記事を公開するだけでなく、人の情報や権限も扱うようになっていたのだ。
「これは、さすがに真剣に考えないといけないかも……」
A子は調べ始めた。
すると、次から次へと「最低限やるべきこと」が出てきた。
まずは、テーマとプラグインを厳選すること。
どれだけ便利そうに見えても、マイナーすぎるものや、更新が止まっているものは避ける。
WordPress本体だけでなく、テーマやプラグインも、こまめに更新し続けなければならない。
さらに、ファイルへのアクセス権限。
ログインURLの工夫。
強いパスワードの設定。
スパム対策としてのreCAPTCHA。
バックアップ。
不正ログイン対策。
必要に応じたセキュリティ系プラグインの導入。
A子は、一つひとつ対策を進めていった。
確かに、やればやるほど安心感は少し増した。
けれど、その安心感は、なぜか「これで終わり」というものではなかった。
一つ終えるたびに、また次の不安が見つかる。
一つ守るたびに、別の穴が気になってくる。
まるで、城壁のひびを見つけて塞いだと思った瞬間、別の場所に新しいひびが浮かび上がるようだった。
「……きりがないじゃない」
A子は、そこでようやく理解した。
無料でやるには、限界があるのだと。
「クラウドサービスは高いから、WordPressを選んだのに……」
WordPress自体は無料でも、安心は無料ではなかった。
手間も、時間も、知識も要る。
本気で守ろうとすればするほど、“無料”という言葉の中に含まれていなかった代償が、次々と姿を現してくる。
しかも厄介なのは、それらの作業が、記事を書く時間を静かに削っていくことだった。
今日は更新確認。
明日はバックアップ確認。
週末はプラグインの相性チェック。
表示が崩れれば原因を調べる。
セキュリティ警告が出れば、また検索する。
A子は、だんだん慣れていった。
慣れていくほど、確認項目は増えていった。
最初は一時間で済んでいた。
次は半日かかった。
その次は、休日が丸ごと消えた。
A子はカレンダーを見た。
本来なら、新しい記事を書くはずだった日。
会員限定コンテンツを整えるはずだった日。
読者に届けたい言葉をまとめるはずだった日。
そこには、いつの間にか別の予定が並んでいた。
更新確認。
バックアップ。
ログ確認。
不正アクセス対策。
プラグイン見直し。
権限チェック。
守るための作業が、守りたかった時間を奪っていた。
A子は、ふと有料サービスの広告を見つけた。
WordPress保守・セキュリティ管理。
更新代行。
バックアップ監視。
不具合時の復旧対応。
月額料金。
A子は、最初その画面を閉じようとした。
「だから、お金をかけたくないからWordPressにしたのに……」
そう思った。
けれど、すぐに手が止まった。
もしこれを頼めば、更新確認に追われる時間は減る。
バックアップの心配も軽くなる。
不具合が起きたとき、一人で慌てずに済む。
それは、機能を買うというより、時間を買うことだった。
安心を買うというより、奪われていた集中力を取り戻すことだった。
A子は、しばらく考えたあと、申し込みボタンを押した。
その瞬間、妙な安心感と、妙な敗北感が同時にやってきた。
サイトは、相変わらずWordPressだった。
WordPress本体は、相変わらず無料だった。
けれどA子は、無料で始めたはずのサイトを守るために、毎月お金を払うことになった。
画面には、申し込み完了の文字が表示されていた。
A子は、小さくつぶやいた。
「無料で始めたのに、時間を取り戻すために有料になっていたんだ……」
そして、久しぶりに投稿画面を開いた。
真っ白な下書きが表示される。
そこに、ようやく一行目を書き始める。
ただ、その画面の端には、今月から増えた月額料金の通知が、静かに残っていた。
―――――
WordPressは無料で始められる。
それは、確かに大きな魅力だ。
だが、「無料で始められること」と「無料で安心して続けられること」は、同じではない。
サイトが小さいうちは、多少の不具合も、表示崩れも、更新作業も、自分の時間で吸収できる。
調べて、試して、戻して、また調べる。
それも学びの一部として受け止めることができる。
しかし、アクセスが増え、収益が生まれ、会員機能や顧客情報を扱うようになると、同じ作業の意味が変わってくる。
更新を忘れること。
バックアップを取らないこと。
古いテーマやプラグインを放置すること。
不正アクセスへの備えを怠ること。
それらは単なる面倒ではなく、損失や信用の問題に近づいていく。
ここで、WordPressの「無料」は少し姿を変える。
お金を払わない代わりに、時間を払う。
時間を払わない代わりに、お金を払う。
不安を抱えたまま続けるなら、精神的な負担を払う。
結局、どこかで何かを支払うことになる。
もちろん、有料サービスを使うことが悪いわけではない。
保守を頼むことも、セキュリティ対策に費用をかけることも、むしろ事業として考えれば自然な判断である。
問題は、そこではない。
問題は、「無料だから得をしている」と思っていたものの裏側で、
自分が何を支払っているのかに気づきにくいことだ。
時間。
集中力。
安心感。
休日。
書くための余白。
それらを少しずつ差し出しているうちは、出費として見えない。
だからこそ、気づいたときにはかなり大きなものを失っていることがある。
クラウドサービスが高く見えるのは、管理や保守の一部が料金に含まれているからかもしれない。
WordPressが安く見えるのは、その管理や判断を自分で背負えるからかもしれない。
どちらが正しい、という話ではない。
何を自分で背負い、何をお金で外に出すのか。
その選択の問題なのだと思う。
無料で始めたものを守るために、有料になる。
一見すると矛盾している。
けれど、それは失敗ではなく、見えなかったコストが見える形になっただけなのかもしれない。
では、自分が「無料」を選んだとき、
本当は何を支払うことに同意していたのだろうか。