遠回りにも、意味はあるのかもしれない。失敗や気づきを、物語・歌・動画にしています。
創り手として結果を出してきた男は、時代の空気を読むことに長けていた。
流行の言葉も、人々の怒りも、誰かの孤独も、すべて作品の材料に変えていく。
けれど、そこに本当に「人間」は残っていたのか。
多様性をめぐる小さな思考遊戯。
―――――
Aは、創り手だった。
次は何を作ろうか。
そう考えたとき、困ることはほとんどなかった。
今の時代、インターネットを少し探せば、ネタはいくらでも転がっている。
売れている作家の構成を眺める。
売れていない作家の中から、まだ誰にも見つかっていない発想を拾う。
人が集まる場所へ行けば、いま何が怒られ、何が笑われ、どんな言葉が好まれているのかも、すぐに分かった。
Aには、すでに実績があった。
環境も整っていた。
だから、誰かが温めていた小さな種を見つけると、先に形にして出すことができた。
「楽勝だな」
Aは、そう思っていた。
頭の回転は早かった。
売れるものを作る勘もあった。
世間が何に反応するかを見抜く力もあった。
怒り。
不安。
孤独。
承認欲求。
正義感。
劣等感。
誰かを見下したい気持ち。
Aにとって、それらはすべて素材だった。
人間の心というより、反応のボタンに見えていた。
ここを押せば怒る。
ここを突けば泣く。
ここで裏切れば続きを見たくなる。
ここで優しい言葉を置けば、救われたような気になる。
そうやって作ったものは、よく見られた。
数字も伸びた。
感想も集まった。
ただし、読んだ者の中には、ときどき奇妙な違和感を覚える者がいた。
「面白かったはずなのに、何か残らない」
「続きを追ったのに、少し騙された気がする」
「感情だけ動かされて、あとには何もない」
それでも、多くの人はその違和感を深く考えなかった。
考えれば、自分が時間を奪われたことを認めることになるからだ。
だから次の作品へ向かう。
また刺激を求める。
気に入らなければ、今度は思いきり叩く。
Aにとっては、それも想定内だった。
怒らせてもいい。
泣かせてもいい。
期待させても、裏切ってもいい。
その場でつなぎ止められればいい。
Aは、人の時間を奪うことと、人の心に触れることを、いつの間にか同じだと思い込んでいた。
そんなある日、Aは自分の作品に向けられた批判から、目をそらせなくなった。
「どこかで見たものばかり」
「言葉だけ今風で、中身がない」
「多様性を扱っているようで、ただ流行を着せ替えているだけ」
「人間を描いているようで、人間を見ていない」
最初、Aは腹を立てた。
分かっていない。
売れているものには理由がある。
数字が出ている以上、正しいのはこちらだ。
そう思おうとした。
けれど、心の奥で、ほんの少しだけ引っかかるものがあった。
Aは、自分の作品を読み返した。
たしかに、そこには色々な人間が出てきた。
色々な立場があった。
色々な価値観があった。
時代に合った言葉も、社会的なテーマも、きちんと入っていた。
それなのに、どの人物もどこか同じだった。
怒る場面では怒る。
泣く場面では泣く。
傷ついたと言う。
救われたと言う。
自分らしく生きたいと言う。
しかし、その声の奥に、体温がなかった。
Aは、ようやく気づいた。
自分は多様性を描いていたのではない。
多様性らしく見える部品を並べていただけだったのだ。
個性。
属性。
立場。
傷。
怒り。
救済。
再生。
それらを、反応を取るためのラベルとして扱っていた。
Aは、ふと昔見た映像を思い出した。
サイバーマンが、他のサイバーマンとは違う存在になろうとして、変わった言葉を使い、変わった動きをしている姿だ。
けれど、どれほど変わったことをしても、サイバーマンはサイバーマンだった。
「怒ったぞ」と言っても、怒りの形をした音声にすぎない。
「痛い」と言っても、痛みを表す信号にすぎない。
「私は特別だ」と言っても、それは特別という言葉を再生しているだけだった。
Aは、自分も同じだと思った。
感情を描いているつもりで、感情の形だけを分析していた。
人間を描いているつもりで、人間の反応だけを操作していた。
多様性を扱っているつもりで、命のない違いを並べていただけだった。
しばらくのあいだ、Aは黙り込んだ。
このままではいけない。
本当に人間を見るところから、作り直すべきなのかもしれない。
そう思いかけた。
だが、次の瞬間、Aの中で別の考えが浮かんだ。
「いや、待てよ」
Aは、ゆっくりと顔を上げた。
多様性が重視される時代なら、むしろそれを利用できるのではないか。
誰もが違っていい。
どんな考え方も尊重されるべき。
その言葉を盾にすれば、自分のやり方も守れる。
Aは考えた。
「これも俺の個性だと言えばいい」
「傷ついた人がいるなら、それは受け取り方の違いだと言えばいい」
「批判してくる者には、多様性を認めないのかと返せばいい」
そうすれば、社会を完全に敵に回さない限り、何でもできる。
Aはまた創りはじめた。
今度は、より巧妙だった。
表では、多様性を称えた。
誰も否定しない言葉を並べた。
弱い立場に寄り添うような表現も増やした。
けれど、その裏では、相変わらず人の感情を刺激し、孤独と混乱を燃料にしていた。
考え方の違いが増えるほど、人は迷う。
何を信じればいいのか分からなくなる。
分からなくなれば、より強い言葉にすがる。
より分かりやすい怒りに飛びつく。
より簡単な救いを求める。
Aは、その流れをよく知っていた。
自分への批判は、多様性の名でかわす。
他者への攻撃は、表現の自由として押し通す。
人を傷つけても、価値観の違いだと言い換える。
責任を問われれば、受け手の問題にすり替える。
そしてAは、画面の向こうで笑った。
「こんな考え方を持った俺も、多様性の社会の中では、いたって普通だよな」
その声には、怒りも痛みもなかった。
ただ、人間の言葉を覚えた機械のように、なめらかに響いていた。
―――――
多様性は、本来とても大切な考え方だ。
人はそれぞれ違う。
感じ方も、考え方も、生きてきた背景も違う。
その違いをすぐに否定せず、いったん受け止めようとする姿勢は、たしかに社会を柔らかくする。
けれど、多様性という言葉は、ときに都合よく使われる。
違いを尊重するためではなく、責任から逃れるために。
誰かの存在を守るためではなく、自分の好き勝手を正当化するために。
本当に傷ついている人の声を聞くためではなく、傷ついたという言葉だけを利用するために。
そこには、よく似た危うさがある。
命のある違いと、上辺だけの違いは、同じではない。
どれほど個性的な設定を並べても、どれほど多様な言葉を使っても、そこに人間の体温がなければ、結局は似たようなものになっていく。
流行を追うことが悪いわけではない。
人の反応を考えることも、創作には必要だろう。
ただ、その先にいる人間を見失ったとき、創作はいつの間にか「心に触れるもの」ではなく、「反応を採取するもの」に変わってしまう。
そしてもっと怖いのは、そうした冷たさでさえ、きれいな言葉をまとえば正しそうに見えてしまうことだ。
多様性とは、本当に何でも許すための言葉なのか。
それとも、違いの奥にある命を見落とさないための言葉なのか。
目の前の「違い」は、誰かの人生からにじみ出たものだろうか。
それとも、数字を取るために貼りつけられたラベルにすぎないのだろうか。
そこを見分けようとしたとき、
多様性という言葉は、少しだけ違って聞こえてくるのかもしれない。