遠回りにも、意味はあるのかもしれない。失敗や気づきを、物語・歌・動画にしています。
高いものには、本当に価値があるのか。
それとも、価値があると信じるから、高く感じるだけなのか。
一杯の珈琲をめぐって、「値段」と「味わう時間」の関係が少しだけずれていく。
高額をめぐる小さな思考遊戯。
―――――
A子は、できるだけ高い物を買うようにしていた。
もちろん、値段が高ければ何でもよい、という意味ではない。
ただ、安さだけを理由に飛びつくことを、A子はあまり好まなかった。
「安物買いの銭失い」
その言葉を、A子はかなり真面目に受け止めていた。
バーゲンセールの赤い札を見ると、普通の人なら少し心が弾むのかもしれない。
けれどA子は、むしろ少しだけ身構えた。
本当に必要なのか。
本当に長く使うのか。
安いからという理由だけで、自分の部屋に入れようとしていないか。
そう考え始めると、簡単には手が伸びなくなる。
高い物は、すぐには買えない。
だからこそ、A子はじっくり考えた。
何度も店に足を運ぶ。
写真を見返す。
使っている場面を想像する。
今持っている物との相性を考える。
本当に必要なのか、ただ欲しいだけなのかを確かめる。
その時間が、A子にとってはひとつの楽しみでもあった。
考えているうちに、欲しくなくなることもある。
別の物の方が合っていると気づくこともある。
結局、買わないまま終わることも珍しくなかった。
それでも、長く考えた末に買った物には、ほとんど後悔がなかった。
A子の持ち物は多くなかった。
けれど、その一つひとつに愛着があった。
少し高い靴。
長く使っている鞄。
毎日手に取るカップ。
何度も読み返す本。
どれも、ただ所有しているだけではなかった。
選んだ時間ごと、A子の中に残っていた。
A子にとって高い物とは、見栄のためのものではなかった。
高いから偉いのではない。
高いから、いい加減に扱えなくなるのだ。
―――――
そんなある日のこと。
A子は、偶然、一杯一万円の珈琲を飲む機会に恵まれた。
A子は珈琲が好きだった。
毎朝、必ず一杯飲む。
食後にも飲む。
仕事の合間にも、気分転換に飲む。
ただ、それはあまりにも日常になりすぎていた。
マグカップに注いで、少し冷まして、何かをしながら飲む。
気づけば、数分で空になっている。
珈琲は好きだった。
けれど、珈琲そのものにきちんと向き合っていたかと聞かれれば、少し自信がなかった。
そんなA子の前に、一杯一万円の珈琲が現れた。
店の説明によれば、特別な豆を使い、特別な抽出を行っているという。
有名人も絶賛しているらしい。
珈琲通のための、特別な一杯なのだという。
A子は迷った。
「一杯一万円なんて、とても考えられないわ。
でも、どれほど美味しいのかしら」
普段なら、珈琲にそこまでのお金を払うことはない。
一万円あれば、別の物が買える。
食事もできる。
生活の中で、もっと現実的な使い道はいくらでもある。
それでもA子は、しばらく考えた末に、その珈琲を注文することにした。
これは無駄遣いなのか。
それとも、経験なのか。
そう迷いながらも、A子はカップの前に座った。
運ばれてきた珈琲は、見た目には特別なものに見えなかった。
湯気が立ち、黒い水面が静かに揺れている。
A子は、すぐには飲まなかった。
香りを確かめた。
カップの温度を手のひらで感じた。
ひと口だけ含み、舌の上でゆっくり転がした。
苦味。
酸味。
香ばしさ。
奥に残る、かすかな甘み。
A子は、いつもの何倍も時間をかけて飲んだ。
一口飲んでは、目を閉じる。
少し間を置く。
また香りを確かめる。
口の中に残る余韻を探す。
飲み終えるまでに、三十分ほどかかった。
カップを置いたとき、A子は静かに息をついた。
「まぁ……なんて美味しいのでしょう」
その瞬間だった。
店の奥から、数人のスタッフとカメラを連れた芸能人が現れた。
「ドッキリでした!」
明るい声が、店内に響いた。
芸能人は、いかにも期待したような表情でA子に近づいてきた。
「実はその珈琲、その辺で買える百円の珈琲なんです。
一杯一万円だと思って飲んだから、美味しく感じただけなんですよ。
どうです?
それを聞いても、まだ美味しいと思いますか?」
スタッフたちは、A子の反応を待っていた。
恥ずかしがるか。
怒るか。
「騙された」と笑うか。
それとも、急に味の感想を変えるか。
番組が期待していたのは、きっとそういう反応だった。
だがA子は、ほとんど驚かなかった。
少しだけ考えてから、静かに答えた。
「もちろん、美味しかったですよ」
芸能人は、一瞬だけ言葉に詰まった。
A子は続けた。
「だって私は、あの珈琲を三十分かけて味わいました。
香りを確かめて、温度を感じて、一口ずつ大切に飲みました。
普段なら数分で飲み終えてしまうものを、今日は本気で向き合って飲んだんです」
A子は、空になったカップを見つめた。
「百円の珈琲だったとしても、私が飲んだ時間まで百円だったわけではありません。
おかげで、いつもの珈琲にこんなに味があることを知れました。
美味しい珈琲を、ありがとうございました」
その場の空気が、妙に静かになった。
芸能人は笑おうとしたが、うまく笑えなかった。
スタッフも、次の言葉を探しているようだった。
A子は、それ以上何も言わなかった。
ただ、満足そうに席を立ち、店を出ていった。
後日、その番組が放送されたとき、A子の場面は使われなかった。
視聴者が見たかったのは、
「高いと聞かされて百円の珈琲をありがたがる人」だった。
けれど、A子が見せてしまったのは、別のものだった。
値段に騙された人ではなく、
値段をきっかけに、いつものものを初めて丁寧に味わった人だった。
一万円だったのは、珈琲ではなく、
その珈琲に向き合うための三十分だったのかもしれない。
―――――
高いものは、本当に良いものなのか。
この問いには、簡単には答えられない。
実際には、高いだけで中身が伴わないものもある。
逆に、安くても素晴らしいものもある。
だから、「高いから価値がある」と言い切ることはできない。
一方で、人は値段によって、自分の向き合い方を変えることがある。
高いお皿に盛られた料理は、ゆっくり味わおうとする。
高い服は、雑に扱わないようになる。
高い道具は、使う前に少しだけ姿勢を正す。
そこには、見栄や思い込みもあるだろう。
しかし、それだけでは片づけられない部分もある。
高いと思うことで、人は時間をかける。
時間をかけることで、細部に気づく。
細部に気づくことで、今まで見えていなかった価値が立ち上がる。
だとすれば、価値は物そのものだけに宿るのではなく、
それに向き合う態度の中にも生まれるのかもしれない。
百円の珈琲を、百円の気持ちで飲むこともできる。
一万円の珈琲として、三十分かけて味わうこともできる。
もちろん、生活の中でいつもそんなことはできない。
毎日の飲み物を、すべて儀式のように扱うのは現実的ではない。
お金の余裕も、時間の余裕も、人によって違う。
けれど、もし「高いものだけが価値を持つ」のではなく、
「丁寧に向き合ったものに価値が増える」のだとしたら。
本当に問われるのは、値段そのものではなく、
自分がそれにどれだけの注意と時間を注いだか、なのかもしれない。
安いものを雑に扱い、高いものだけを大切にするのか。
それとも、安いものの中にも、丁寧に味わえば立ち上がる価値を見つけられるのか。
一杯の珈琲の値段は、レシートに印字される。
けれど、その一杯をどう味わったかまでは、どこにも印字されない。
だからこそ、価値というものは、
支払った金額だけではなく、
そのあとにこちらが差し出した時間によっても、静かに変わっていくのかもしれない。
何気なく過ぎていく毎日の中にも、
ゆっくり向き合うことで見えてくる価値があります。
一杯の飲み物、朝の湯気、古いカップ。
その小さな時間を丁寧に味わう歌です。
静かに息を
吸う朝の
柔らかさ
マグカップから
昇りゆく
白い湯気
時計の針に
急かされて
過ごす日々
喉を潤す
ためだけに
飲み込んだ
でも本当は
気づいたの
値段より
両手で包み
味わえば
宝物
光集める
宝石や
高い値札
それだけがただ
素晴らしいと
思ってた
いつもの安い
飲み物も
古いカップも
目を閉じ香り
嗅いだなら
甘かった
ありふれた日の
その中に
ある温度
ただ流れゆく
毎日を
止めてみて
ちゃんと向き合い
見つめたら
色づいた
これからの日は
少しだけ
ゆっくりと
今日出会うもの
一つずつ
味わって
心を向けて
生きていく
この余韻
そっと目を閉じ
息を吐く
愛おしい
何でもない日
愛おしい
ありがとう