遠回りにも、意味はあるのかもしれない。失敗や気づきを、物語・歌・動画にしています。
自信がないことにだけは、自信がある。
その小さな矛盾から、一人の男は少しずつ自分を作り替えていく。
自信と思い込みの境界をめぐる小さな思考遊戯。
―――――
Aは、自分に自信がなかった。
何を始めるにも、まず失敗する場面が浮かんだ。
人と話す前には、変に思われるのではないかと身構えた。
新しいことに挑戦する前には、どうせ自分には無理だと決めつけた。
失敗したから自信がないのか。
自信がないから失敗するのか。
その順番すら、もう分からなくなっていた。
朝起きるのも億劫だった。
外に出るのも億劫だった。
誰かと会うのも億劫だった。
自分に期待できないという感覚は、やがて、生きていくことそのものへの重さに変わっていった。
そんなある日のこと。
Aは、いつものように自信について考えていた。
自分には何もない。
人に誇れるものもない。
胸を張れる経験もない。
自信を持てる根拠など、どこにもない。
そう考えていたとき、ふと妙なことに気がついた。
「待てよ」
Aは、小さくつぶやいた。
「自信がないことについては、誰よりも自信があるんじゃないか」
それは、ほとんど屁理屈のような発見だった。
けれど、Aには不思議と光に見えた。
自信がないことに自信がある。
ならば、自分には自信があるとも言えるのではないか。
Aは、その考えにしばらく酔った。
もちろん、冷静に見れば無理がある。
けれど、これまでのAは、どんな無理のない理屈でも前に進めなかった。
だとすれば、少しくらい無理のある理屈でも、自分を動かせるなら役に立つのではないか。
ちょうどその頃、Aはある本で読んだ。
自信があるように振る舞うことで、本当に気持ちが変わっていくことがある。
姿勢を変え、声を変え、表情を変えることで、心があとからついてくることがある。
Aは思った。
「根拠は、あとでいい」
それからAは、自信がある人間のように振る舞うことにした。
背筋を伸ばす。
声を少し大きくする。
返事をはっきりする。
人の目を必要以上に避けない。
できるだけ堂々と歩く。
最初はすべてが演技だった。
心の中では震えていた。
けれど、表面だけは揺れないようにした。
周りの人間は、少し戸惑った。
「最近、変わったね」
「無理してない?」
「前のAらしくないよ」
そう言われても、Aは気にしないことにした。
以前の自分を基準にされれば、いつまでも以前の自分に引き戻される。
だからAは、そうした声も含めて、すべてを横に置いた。
すると、不思議なことに、少しずつ変化が起きた。
堂々としているふりをしているうちに、本当に少し堂々とできるようになった。
人前で話すことにも、少し慣れた。
失敗しても、前ほど深く沈み込まなくなった。
Aは思った。
「やはり、自信は作れる」
その実感は、Aにとって大きな救いだった。
けれど、同時に不安も残っていた。
根拠のない自信は、いつ崩れるか分からない。
Aは、自分の足元がまだ柔らかい地面の上にあることを知っていた。
そんな頃、友人に誘われて、Aはある武術の演武を見ることになった。
そこで披露されたのは、「空気投げ」と呼ばれる技だった。
相手にほとんど触れず、まるで空気を動かすだけで投げ飛ばしているように見える。
投げられた者は、豪快に畳へ転がる。
見物人は息をのみ、拍手を送った。
Aは目を奪われた。
「こんなことが、本当にできるのか」
半信半疑だった。
けれど、同時に胸が高鳴った。
自信を作ることができた自分なら、これも身につけられるのではないか。
Aは練習を始めた。
最初は誰も投げられなかった。
当然だった。
空気だけで人が投げ飛ばされるはずがない。
それでもAは諦めなかった。
姿勢を整え、呼吸を整え、手の動きを研究した。
相手の重心、視線、気配、間合い。
そうしたものを徹底的に観察した。
やがて、Aの動きに合わせて倒れる者が現れた。
最初は、気を遣った友人だった。
次に、Aの熱意に感化された者だった。
その次に、Aの空気に飲まれた者だった。
Aは、少しずつ確信を深めていった。
「やはり、できる」
周囲も、そう言うようになった。
「先生の技はすごい」
「本当に触れていないように見える」
「理屈では説明できない」
Aは道場を開いた。
自信がなかった頃の自分を思い出し、入門者には優しく接した。
自信がない者には、自分の経験を語った。
「まずは、自信があるように振る舞うことです。心はあとからついてきます」
その言葉に励まされる者もいた。
道場では、弟子たちが次々に投げられた。
派手に飛び、受け身を取り、起き上がって頭を下げる。
その光景は、見る者を魅了した。
やがてテレビ局が取材に来た。
番組では、Aの技が大きく紹介された。
「触れずに人を投げる達人」
「現代に蘇った神秘の技」
「自信が人生を変えた男」
Aは一躍有名になった。
入門希望者は増えた。
講演依頼も来た。
書籍も出た。
Aは、かつての自分では考えられないほど、多くの人に囲まれるようになった。
その頃には、A自身も疑わなくなっていた。
自分には力がある。
自分の技は本物だ。
あの日、自信がないことへの自信に気づいた瞬間から、自分の人生は変わったのだ。
そんなある日。
総合格闘技のチャンピオンが、Aに挑戦を申し込んできた。
テレビ局は大喜びした。
世間も騒いだ。
「本物の格闘家にも通用するのか」
「達人の神技か、それとも思い込みか」
弟子たちは不安げだった。
けれど、Aは落ち着いていた。
もはや、かつてのように震えることはなかった。
「受けましょう」
Aは、静かにそう答えた。
試合当日。
会場は異様な熱気に包まれていた。
全国の視聴者が見守る中、Aはリングの上に立った。
向かいには、鍛え抜かれたチャンピオンがいた。
Aは深く息を吸った。
自信に満ちた目で、相手を見た。
開始の合図。
チャンピオンが踏み込んでくる。
Aは、いつものように手を動かした。
空気が揺れた。
相手の重心が崩れる。
チャンピオンの身体がふわりと浮き、まるで見えない力に押されたように、リングのマットへ叩きつけられる。
会場は静まり返った。
次の瞬間、割れんばかりの歓声が起こった。
Aは、勝った。
空気投げは、本物だった。
――そう思ったところで、Aは目を覚ました。
目を開けると、天井の白いライトが見えた。
耳元で誰かが叫んでいる。
「先生、大丈夫ですか!」
Aは、しばらく状況が分からなかった。
医師の声。
弟子たちの青ざめた顔。
遠くでざわめく観客席。
そして、ようやく理解した。
試合開始直後、チャンピオンの一発を受け、Aはその場で倒れていたのだ。
Aが勝ったと思った一連の出来事は、気絶している間に見た夢だった。
Aは、ぼんやりと思った。
思い込みとは、ここまで現実から離れるものなのか。
その日の映像は、何度も流された。
一部の人々は笑った。
一部の人々は失望した。
一部の人々は、それでもなおAを信じた。
「先生は本調子ではなかった」
「あの相手は殺気が強すぎた」
「テレビ局の演出が悪かった」
「本当の技は、見せ物では
使えない」
A自身も、やがてそう考えるようになった。
ここまで来たら、もうやめられない。
Aは記者会見で語った。
「あの日は、私の調子が万全ではありませんでした。
そして、あの技の本質は空気ではありません。相手の意識に働きかけるものだったのです」
そうしてAは、技の名を変えた。
空気投げではなく、催眠投げ。
Aは再び鍛錬を始めた。
ただし、ひとつだけ固く心に決めた。
催眠投げが通用しない相手とは、二度と戦わない。
その後、Aは長く道場を続けた。
弟子たちは増え、去る者もいた。
信じる者は残り、疑う者は離れた。
Aは年を取り、やがて静かにこの世を去った。
そして百年が過ぎた。
時代が変わり、映像の記録は失われ、当時を知る者もいなくなった。
残ったのは、語り継がれた逸話だけだった。
Aという達人がいた。
触れずに人を投げた。
弟子は数え切れないほどいた。
ただ一度だけ、総合格闘技の王者に敗れたという。
人々は、その一敗さえも伝説の一部として語った。
「生涯で一度しか敗れなかった、空気投げの達人」
そうしてAは、歴史の中で本物になった。
―――――
自信がないことで苦しむ人は、いつの時代にもいる。
自分を信じられない。
人前に出るのが怖い。
挑戦する前から、失敗する姿ばかりが浮かぶ。
その苦しさを思えば、「自信を持つこと」はたしかに大切だ。
姿勢を変え、声を変え、振る舞いを変えることで、心が少しずつついてくることもある。
自信は、人を前に進ませる力になる。
だが、その力は、ときに現実から目をそらす力にもなる。
最初は、震える自分を動かすための小さな演技だった。
それが、周囲の期待を集めるうちに、だんだん本物のように扱われる。
本人も信じる。
弟子も信じる。
観客も信じる。
そうなると、自信は単なる内面の感覚ではなく、ひとつの共同幻想になっていく。
自信とは、自分だけで作るものではなく、周囲と一緒に維持される物語でもある。
もちろん、それがすべて悪いわけではない。
人は、完全な根拠だけで生きているわけではない。
まだできていないことに挑むとき、少し未来の自分を信じる必要がある。
そういう意味では、根拠のない自信が、人を成長させることもある。
問題は、その自信が現実検証を拒み始めたときだ。
負けた理由を見直すのではなく、技の名前を変える。
通用しなかった事実を受け止めるのではなく、通用しない相手を避ける。
失敗を学びにするのではなく、失敗を伝説の演出に変える。
そうなったとき、自信は努力の支えではなく、幻想を守る鎧になる。
一方で、時間が経つと、人は結果だけを単純に記憶する。
何が本当だったのか。
どこまでが演出だったのか。
どこからが思い込みだったのか。
細部は消え、物語だけが残る。
そして百年後には、ただ一敗しただけの達人として語られる。
現実に負けた人間が、記憶の中では勝者になる。
それもまた、人間社会の不思議なところだろう。
自信は必要だ。
しかし、自信だけでは足りない。
努力も必要だ。
しかし、努力しているという事実だけでは、方向までは保証してくれない。
努力は嘘をつかないと言われる。
たしかに、努力した時間そのものは嘘ではない。
けれど、努力の向きが現実からずれていれば、その努力は幻想を強化することもある。
では、自信の正体とは何なのだろうか。
自分を信じる力なのか。
現実を見ないための演技なのか。
周囲に支えられた物語なのか。
それとも、失敗してもなお、現実へ戻ってくるための足場なのか。
もしかすると、自信にこだわりすぎないことこそが、自信に近づく道なのかもしれない。
「自分はできる」と叫び続けるよりも、
できたこと、できなかったことを静かに見つめる。
そして、できなかったことを別の名前でごまかさず、
次にどうするかを考える。
その繰り返しの中にだけ、幻想ではない自信が育つのかもしれない。
自信がない自分を変えたくて、少しだけ強い自分を演じてみる。
その一歩は、きっと無駄ではない。
けれど、信じることと同じくらい、足元を見失わないことも大切なのかもしれません。
鏡の中の自分はいつも
不安そうに うつむいてばかりで
震える声じゃ 誰の心にも
届かない気がして 苦しかった
だから少しだけ 強い自分を
演じてみようと 背筋を伸ばす
自信があるふり それだけでも
一歩を踏み出す 理由になったから
信じる力は 光みたいで
拍手や期待の声に 包まれていく
だけどいつしか 強い言葉に酔って
自分の足元が 見えなくなっていた
「絶対にできる」と 繰り返すほど
本当の景色から 遠ざかっていく
強がりの中 迷いを隠して
誰より自分を 見失っていたんだ
ふいに躓いて 夢から覚める
崩れた鎧は 少し重かった
でも 痛みの中で 信じ続けた時間は
決して無駄じゃないと 今ならわかる
できたことも できなかったことも
静かに息を吸って 見つめ直そう
幻想ではない 小さな自信とは
見せる自信より ありのままでいられる自信
もう一度、足元から 歩いていこう
ここは まだ信じた道の途中
飾らない私のまま
確かな地面を 感じながら
一歩ずつ