遠回りにも、意味はあるのかもしれない。失敗や気づきを、物語・歌・動画にしています。
お金が必要なく、欲しいものが必要なだけ手に入る世界。
人々は生活情報と思考パターンを提供する代わりに、自分に最適化された快適な日々を受け取っていた。
悩みさえも自由に選べる時代をめぐる小さな思考遊戯。
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A子が住む世界には、お金が存在しなかった。
生活必需品はもちろん、食べ物も服も住まいも、娯楽も学びも、必要なものは必要なだけ手に入った。
かつて人々が、家賃や食費や老後の心配に追われていた時代は、歴史資料の中にしか残っていない。
その世界で、人が差し出すものは一つだけだった。
自分の生活情報と思考パターン。
どんな時間に起き、何に喜び、何に疲れ、誰と話し、何を考え、どんな言葉に反応するのか。
それらの情報は、さらに快適な生活を提供するために使われた。
もちろん、人間が勝手に覗き見ることはできない。
情報を処理するのは高度なコンピューターだけであり、プライバシーが悪用される心配はないとされていた。
実際、その仕組みによって犯罪は激減した。
人は満たされていれば、無理に奪う必要がない。
不安が減れば、他人を攻撃する理由も減っていく。
怒りや孤独の兆しがあれば、本人に合った休息や会話や環境が、自然に用意された。
人々は、誰かの顔色をうかがう必要もなくなった。
上司に気を遣う必要もない。
お金のために嫌な仕事を続ける必要もない。
誰かより豊かに見せるために、無理をする必要もない。
それぞれが、自分自身や大切な人、生き物、物、世界を少しでも楽しく快適にするため、楽しみながら何かに取り組んでいた。
A子は、小説を書いていた。
それはお金のためではない。
有名になるためでもない。
ただ、大切な人に楽しんでもらいたかったからだ。
最初は一人に向けて書いていた物語が、いつの間にか多くの人に読まれるようになった。
「面白かった」
「少し泣いた」
「また読みたい」
そう言われるたびに、ネタを考える苦労は、すっと喜びに変わった。
A子は机の前で伸びをしながら、ふと思った。
「さて、今日は数ある娯楽の中から、あえて『悩み』でも選んでみようかしら」
この世界では、何に悩むかさえ選ぶことができた。
失恋の切なさ。
冒険の不安。
裏切られる痛み。
勝利の高揚。
別れの悲しみ。
見知らぬ時代を生きる苦労。
超現実的なゲームや映画、体験型の物語は、無償で配給されていた。
観るだけではない。
全身で感じることができた。
雨に濡れる冷たさも、胸が締めつけられるような恋も、暗い森を歩く恐怖も、誰かに抱きしめられる温かさも、すべて安全な範囲で経験できる。
A子は、ドキュメンタリーも好きだった。
ときどき、過去の人間たちの暮らしを体験する。
お金のために働き、将来を不安に思い、人間関係に傷つき、匿名の言葉に怯えながら生きていた時代。
ある日、A子は古いインターネットを再現したドキュメンタリーを体験していた。
画面の向こうでは、信じていた友人が、名前を伏せて心ない言葉を書き込んでいた。
別の人は、誰かを傷つけても、自分の顔が見えないことで平気な顔をしていた。
A子は、胸の奥に鈍い重さを感じながらつぶやいた。
「ふうん……一昔前は、こんなに大変だったんだ。
これじゃ、誰も信じられなくなっても不思議じゃないわね」
体験が終わると、部屋には穏やかな光が戻った。
温かい飲み物が、A子の好みに合わせて用意されている。
呼吸を整えるための音楽が、静かに流れている。
不安は、すぐにほどけていった。
それから、長い時間が流れた。
A子は、もうすぐ二百歳を迎えようとしていた。
身体はまだ動く。
思考もはっきりしている。
小説も書ける。
大切な人たちとの時間も、十分にある。
それでもA子は、自分の人生を振り返りながら、静かに言った。
「考えてみたら、あっという間だったわね。
そろそろ、いつ人生を閉じるか考えなきゃね」
その世界では、人生を終える時期も自由に選べた。
もう十分に生きたと思えば、穏やかに人生を閉じることができる。
あるいは、記憶を閉じて、まったく新しい存在として、ゼロから始めることもできる。
生きることも。
悩むことも。
楽しむことも。
終わることも。
すべてが、選択できるようになっていた。
A子は予定表を開いた。
明日は「小さな孤独」を体験する日。
来週は「叶わなかった恋」の物語に入る日。
その先には、二百歳を迎えた自分の人生をどう閉じるか考えるための、静かな時間が用意されていた。
A子は微笑んだ。
不幸は、ほとんどなくなった。
苦しみも、必要なら安全に体験できるようになった。
それでも、人はまだ何かを選び続けている。
満たされきった世界でさえ、人は自分の心を動かすために、喜びも、孤独も、切なさも、そして時には悩みさえも、数ある体験の一つとして選べるようになっていた。
お金が必要なくなる世界を考えるとき、多くの人はまず「それでも人は退屈するのではないか」「苦しみがないと成長できないのではないか」と考えるかもしれない。
たしかに、現代の価値観で見れば、悩みや苦労は人生に深みを与えるものとして語られやすい。
お金に困ること。
人間関係に傷つくこと。
将来に不安を抱くこと。
失敗して、立ち上がること。
それらが物語を生み、人を成長させ、創作の源にもなってきたのは事実だろう。
けれど、それは「苦しみが必要」という意味とは少し違う。
お金が必要な世界では、多くの悩みが、生きるために強制される。
生活のために働き、支払いに追われ、将来を恐れ、失敗すれば取り返しがつかないと思い込まされる。
その悩みは、選んだものではない。
多くの場合、逃げられないものとして背負わされる。
しかし、お金が必要なくなり、生活の土台が満たされた世界では、悩みそのものの意味が変わっていくのかもしれない。
悩みは、生きるために押しつけられる苦しみではなくなる。
自分の心を動かすために選ぶ体験になる。
物語を味わうように、映画を見るように、ゲームの中でスリルを感じるように、人は安全な場所から悲しみや迷い、不安や切なささえ味わうようになる。
それは悩みが偽物になるということではない。
悩みが、苦しみだけのものではなくなるということだ。
たとえば、映画を観て涙を流す。
小説を読んで胸が痛くなる。
ゲームの中で失敗し、悔しさを感じる。
それらは現実の生活を破壊する苦しみではない。
それでも、心は確かに動いている。
未来の悩みも、それに近いものになるのかもしれない。
現代の検索や記録は、基本的には過去の人々が悩んできたことの集積である。
どれほど情報が増えても、まだ誰も悩んだことのない問いには、すぐに答えを出せない。
けれど、世界の前提が変われば、悩みの種類も変わる。
お金がないから苦しむ時代から、
何を感じ、何を選び、どんな心の動きを味わうかを考える時代へ。
そうなったとき、人は悩みから解放されるのではなく、
悩み方そのものを変えていくのだろう。
一見すると、それは楽園のように見える。
だが、この物語で見たいのは「楽園にも穴がある」ということではない。
むしろ、楽園に見えるほど満たされた世界では、人間の悩みや創作や感情さえ、これまでとは別の形に変化していくのではないか、ということだ。
お金が必要なくなるだけで、人は怠けるのか。
それとも、ようやく苦しみから離れ、悩みさえ楽しみの一つとして扱えるようになるのか。
もし、いつか「今日は数ある娯楽の中から、あえて悩みでも選んでみようか」と言える時代が来たなら、それは人間が空っぽになった証拠ではなく、苦しみに支配されずに心を動かせるようになった証拠なのかもしれない。