遠回りにも、意味はあるのかもしれない。失敗や気づきを、物語・歌・動画にしています。
不安は、邪魔に見える。
だが時々それは、踏み越えてはいけない場所を知らせる最後の感覚になる。――裏思考遊戯。
A男は、若くして投資アドバイザーとして成功した。
彼の助言を受けたクライアントは、次々と利益を出した。
SNSでは「投資の天才」と呼ばれ、紹介だけで新しい相談が埋まっていった。
だが、成功は静かに重くなる。
最初は一人の期待だった。
次に十人の期待になり、やがて百人の生活が、自分の言葉に乗っているように感じ始めた。
「次も当てなければならない」
「損をさせてはいけない」
「自分の一言で、誰かの人生が変わるかもしれない」
その考えは、責任感に見えた。
だがA男の中では、少しずつ呪縛になっていった。
ある日、クライアントとの会議中に、A男は突然息ができなくなった。
視界がぼやけ、相手の声が遠のく。
資料の数字が、ただの黒い虫のように紙面を這って見えた。
A男はなんとか笑って、その場を終えた。
だが、その日から眠れなくなった。
夢の中でも、クライアントが並んでいた。
それぞれが、同じ顔で言う。
「あなたを信じたのに」
A男は追い詰められていた。
そんなある日、一人の老紳士がオフィスを訪ねてきた。
B男だった。
かつてA男に投資の基礎を教え、この世界に入るきっかけを作った人物だ。
B男は、A男の顔を見るなり静かに言った。
「かなり縛られているな」
A男は苦笑した。
「責任です。
クライアントのお金を扱っているんですから、当然ですよ」
B男は首を振った。
「責任と呪縛は違う。
責任は目を開かせる。呪縛は目を塞ぐ」
そしてB男は、一枚の白いキャンバスを差し出した。
「描け。
数字ではなく、今の心を」
A男は戸惑った。
投資の世界で生きてきた自分に、絵など縁がない。
それでも、B男に促されるまま筆を取った。
最初は何も描けなかった。
だが、赤を置いた瞬間、胸の奥から何かが噴き出した。
黒。
青。
濁った灰色。
鋭い線。潰れた円。折れた矢印。
気づけば、キャンバスには言葉にならないものが広がっていた。
期待。恐怖。損失。焦り。評判。失敗。信用。
A男は、しばらくその絵を見つめた。
「これが……僕の中にあったものですか」
B男は頷いた。
「そうだ。
では、最後にそれを踏め」
A男は聞き返した。
「踏む?」
「そうだ。
君を縛っているものを、足の裏で確認しろ」
A男はためらった。
自分の不安を描いた絵を踏むことに、奇妙な抵抗があった。
だがB男は言った。
「踏めないなら、まだ支配されている」
その一言で、A男は足を上げた。
そして、キャンバスの上に踏み下ろした。
ぐしゃり、と絵の具が広がった。
赤と黒が靴裏に混ざり、床に薄く伸びた。
その瞬間、A男の胸が軽くなった。
「……消えた」
A男は呟いた。
本当に、何かが消えた気がした。
それからのA男は変わった。
会議で声が震えなくなった。
クライアントの不安に引きずられなくなった。
相場が荒れても、堂々と説明できるようになった。
「迷いがなくなりましたね」
「前より頼もしいです」
「やっぱりA男さんに任せてよかった」
クライアントの反応も良くなった。
助言は以前より明確になり、投資成績も好調だった。
A男は思った。
呪縛を踏んだからだ。
あの絵を踏み越えたから、自分は戻れたのだ。
やがてA男は、オフィスの一角に小さなアトリエを作った。
不安が強くなった夜には、キャンバスに描き、踏む。
一枚、また一枚。
靴跡のついた絵が、壁に増えていった。
ある日、長年のクライアントである年配の女性が、その絵を見た。
「これは、何ですか?」
A男は少し誇らしげに答えた。
「僕が踏み越えてきた不安です」
女性は、しばらく黙っていた。
そして、小さく言った。
「その中に、私たちの不安も入っていますか」
A男は、すぐに答えられなかった。
キャンバスを見た。
そこには確かに、自分が書いた文字が残っていた。
損失。
老後資金。
家族。
信頼。
取り返しのつかない判断。
それはA男の不安だった。
だが同時に、クライアントの生活そのものでもあった。
A男は、はじめて足元を見た。
自分が踏んでいたのは、自分の呪縛だけだったのか。
それとも、誰かが震えながら差し出した不安まで、
「自分が進むため」に踏みつけていたのか。
数日後、B男に会うと、B男は静かに笑った。
「軽くなっただろう」
A男は答えた。
「ええ。
でも、軽くなりすぎたのかもしれません」
B男は何も言わなかった。
A男は続けた。
「怖さは、邪魔なだけじゃなかった。
怖いから、確認していた。
怖いから、言葉を選んでいた。
怖いから、他人のお金を“数字”だけで見ずに済んでいた」
A男は、自分の靴裏を見た。
そこには、もう乾いた絵の具が薄く残っていた。
B男は言った。
「なら、次は踏む前に読むことだ」
A男は、少しだけ息を飲んだ。
その夜、A男は新しいキャンバスを前にした。
筆を持ち、不安を書いた。
けれど、今度はすぐに踏まなかった。
まず読んだ。
一つずつ。
誰の不安なのか。
何を守ろうとしているのか。
どこまでが責任で、どこからが呪縛なのか。
そして最後に、紙の端にこう書いた。
「踏む前に、確かめる」
それは、派手な解放ではなかった。
重さは少し残ったままだった。
だがA男は思った。
この重さまで消してしまったら、自分はきっと、誰かの人生を軽く扱う。
さて。
あなたが踏み越えようとしている呪縛は、本当に捨てるべきものだろうか。
それとも、まだ何かを守っている最後の重さだろうか。
あなたは、踏む前に何を確かめるだろう。
* * *
ここで、この話の裏側を言う。
不安は、しばしば悪者にされる。
行動を止めるもの、成功を邪魔するもの、自由を奪うものとして扱われる。
もちろん、不安に飲まれれば動けなくなる。
過剰なプレッシャーは、人の判断力も体力も奪っていく。
だから、不安を外へ出し、形にして、距離を取ることには意味がある。
ただし、不安のすべてが不要なわけではない。
特に、他人の人生やお金や未来に関わる場面では、
不安は「逃げろ」という声ではなく、ちゃんと見ろという合図でもある。
それを全部まとめて踏みつけてしまうと、
人は軽くなる。
だが、軽くなりすぎた足は、誰かの生活の上にも簡単に乗ってしまう。
呪縛を解くことと、責任を捨てることは違う。
怖さを克服することと、怖さから学ばなくなることも違う。
裏の問いは一つ。
あなたがいま踏み越えようとしているものは、自由を奪う呪縛か。
それとも、誰かを守るために残っていた最後の重さか。